李清華
【摘 要】ことわざは長期にわたってある民衆(zhòng)の生活経験の結晶で、庶民の間に口から口へと言い伝えられてきた簡潔で分かりやすい言葉である。本論は日本語の「犬」「馬」に関する動物の諺を収集して、言語學の視點から分析し、日本人の國民性を探求してみる。
【關鍵詞】諺;犬;馬;集団意識;帰屬感
1 はじめに
言語は文化の根本的な礎石で、人間の活動に重要な役割を果たして、社會の不可欠な部分である。言語と文化は相互依存して、お互いに影響し合う。ことわざは長期にわたってある民衆(zhòng)の生活経験の結晶で、庶民の間に口から口へと言い伝えられてきた簡潔で分かりやすい言葉である。ことわざはただ言語分野の小さな一面だけで、それを通して、ある側面からその民族の自然環(huán)境、獨特の風土、人情風俗及び宗教信仰などを見せると思われる。動物は人間と一番密接な関係があり、人間の感情、考え方などは動物に関することわざを通して、現(xiàn)れることも多いようである。本論は日本語の「犬」「馬」に関する動物の諺を収集して、言語學の視點から分析し、日本人の國民性を探求してみる。
2 動物ことわざの産生
2.1 歴史背景
ことわざは時代の産物で、いろいろな歴史背景の中に生まれ、歴史事件、民族風俗と切ってもきれない関係を持つ。そのため、この歴史の背景を了解しなければ、ことわざの內容も理解できない。たとえば、日本のことわざ「馬の骨」である。昔、日本に馬は重要な交通手段としてよく使われていた。馬は旅で病気、疲労などの原因で死んでしまったら、道端にほったらかされてしまったことがよくある。最後この白骨は起源がわからないものになった。ですから、「馬の骨」は素性のわからない人を叱っている語である。
2.2 外來文化
今、私たちが本で見たことわざは、子孫の収集と整理分析したものである。これは、庶民の人生経験から悟った知恵と結晶である、ただの人生の教訓、処世の學問ではなく。日本の國民も豊かなことわざを持っているが、その中に外來からことわざもすくなくない。日本はアジアの國だが、ほかのアジア國に比べて、異なる文化伝統(tǒng)がはっきり見える。なぜかと言えば、日本文化は本土文化の基礎に基づいて、外來文化を吸収して、融合していた過程で発展された。日本は未開から開化への歴史はこの島國が外來文化を吸収する過程と言える。
もちろん、日本に一番深い影響を與えたのは中國文化である。西歴3世紀から7世紀まで、中國から日本へきた人々は中國の先進的な文化をどんどん日本へ持ってきて、その時の両國文化の交流が日日と深まるに向かっていた。でも、日本人はそのまま使っていないで、民族自身の文化、國家狀態(tài)の要求に応じて、日本民族の獨自の特色になってきた。また、16世紀、西洋文化は日本に入って、いろいろな領域の文化を吸収した。日本は外來文化に対して、積極的な態(tài)度で取り入れて、ほかの民族の文化の助けを借りて、本民族の文化に刺激を與えて発展させた。
3 動物のことわざから日本人の國民性
3.1 犬のことわざから日本人の集団意識
日本では、新石器時代になってから、犬は人間が動物の中から家畜として登場した飼われていた動物である。ですから、犬は家畜の中では、人間の一番親しい関係にあると言える。人間は犬が忠誠を代表すると認められいる。日本人は自分がある集団に屬しているという意識、つまり集団志向が強い、すなわち集団意識である。この意味では、日常生活の中で、人々は犬のことが大好きであるが、人間は犬に対するイメージが日本語の犬に関することわざを通して、日本人の集団意識を探求した。
日本のNHKの調査によって、「日本人の好きなもの」の中に、最も好きな動物は犬だということが挙げられている。日本人は犬の特性、習慣などを細かく観察して、ことわざの中に表している。たとえば、「犬が西向きゃ尾は東」というのは犬が西に向いているとしたら、尾は東にあるという事実かた、あたり前であることを比喩している。
「吠える犬は噛みつかぬ」というのは強がりを言ったり、やたらと威張ったりするものに限り、能力はないという意味であるが、同じ考え方を裏から言ったものである。
「尾を振る犬は叩かれず」というのは尾を振り、寄って來る犬に対しては嫌いな人では感情を移すものである。ですから、人々は自分に順に従ってくるものには、あまり冷酷な仕打ちはできないことを比喩している。
以上のようなことわざは全部「尾、吠える、尾を振る」特性や習慣から作られたことわざで、その特徴を指摘しており、または人間の行動様式を暗示している。犬は人間と一番密接な関係がある、犬のお主のために忠誠を盡くし、恩を忘れないという性格がたいへん気に入っていたようである。日本人の集団意識はさまざまなところに影響を言及している。この集団意識があってこそ、人間の內心を読み取って、日本民族の特有な文化が育ってきた。日本民族とほかの民族に比べて、日本人は集団意識をもっと重んじて、日本人は非常によく働くという評価は、いまでは國際的にも定著している。日本人の國民性の特徴として多くの人が指摘しているもののうち、共通性のあるものをいくつか取り上げられる。日本人の集団主義に生き生きとした描寫がある。日本人は蜜蜂のように、一人一人の個體は優(yōu)秀ではないかもしれないが、でも、一旦小さな団體集団を結べば、協(xié)力協(xié)調により巨大な力を持つようになった。
一言に言えば、日本の集団意識が一種思想理念に屬し、集団行為と結びついて、強い力を生み出すー積極的な進歩行為であろうと、消極的反動的行為であろうと、この集団意識は參考になる値打ちがある、われわれはこの意識を參考しなければ、中國の現(xiàn)代化建設事業(yè)の中で、特に國家意識、大局意識、団結の心に対して努力奮闘する精神をもって、國家と民族の発展進歩中で個人の価値を実現(xiàn)させる必要がある。
3.2 馬のことわざから日本人の帰屬性
馬は犬と並んで人間にとって最も身近な動物であり、家畜動物の中でも有益な動物の一つであって、戦爭時代の時でも、平和時代の時でも、人を乗せったり、荷物を運んだりするために使われてきた。馬は日本人にずいぶん重視されており、日本人が所有物ばかりでなく、一種の財産のように考えていることがわかる。本章は馬に関することわざから日本人の帰屬性を探求する。
「何拠の馬の骨」というのは「何拠」という疑問詞から、馬の骨の由來が分からないことを言っている。
「隣の馬も借りたら一日」というのはことわざの中で、「隣の馬」を使用し、馬の主は自主ではなく、他人だということで、ほかの人から借りできたものはいくら使っても惜しくないという心理狀態(tài)を暗示している。
「女房百日馬二十日」というのはことわざの中で、「女房」と「馬」、「百日」と「二十日」の類推し、馬も主の所有物だと考えられていることも明らかになってくる。
「跛馬も主が褒める」というのは「主」の言葉から、主と馬の間の所有と被所有の関係がはっきり見える。
以上のような例は馬の同じ特徴を持っている。また、日本人は馬がほかの家畜ろ異なり、人間と意志の通じるものとおもって、ですから日本人の帰屬性をはっきり見える。
4 終わりに
本論文は日本語の「犬」「馬」に関することわざを通して、言語文化學などの視點から、日本人の集団意識及び帰屬性を探求してみた。集団意識が日本人の最も獨特な國民性と言える、忠誠を代表し、強い依頼心理を表している。日本人は協(xié)力のチームーワークを崇拝し、人と人の間に互いに援助し、互いに協(xié)力しあい、互いに団結している。日本人は非常に帰屬性を重視し、人間に対する親切である。日本人の國民性の基層としての帰屬性は日本人の集団意識の形成に対して非常に作用を持っていた。
【參考文獻】
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[責任編輯:田吉捷]