李丹丹
はじめに
ご周知のように、日本の近代化の起點(diǎn)は歐米よりはるか低い、そのため日本は明治維新によって、近代化を?qū)g現(xiàn)するには歐米諸國(guó)を見習(xí)うしかない。そのうちに、教育は重大な役割を果たしている。なぜならば、當(dāng)時(shí)の日本にとって、先進(jìn)的な科學(xué)技術(shù)の導(dǎo)入、富國(guó)強(qiáng)兵の目標(biāo)に相応しい思想観念や社會(huì)道徳、また資本主義の発展の為に大勢(shì)の専門分野の人材を育成など、全部教育によって実現(xiàn)する。この點(diǎn)から見れば、教育は日本近代化を?qū)g現(xiàn)する鍵である。本文は主に日本近代化にける教育がどのような役割を果たしているかを検討する。
キーワード: 近代化;教育;役割;関係
1.近代化と教育の関連性
近代化という言葉は、自我の確立、民主主義的人間関係の実現(xiàn)、もしくは
生産性の向上といった、それぞれの理解に基づいた行動(dòng)目標(biāo)とその実現(xiàn)の営みを「近代化」という言葉に當(dāng)てはめることがある。その中で特に近年における近代化政策として、各國(guó)のマンパワー·ポリシーの重視とそれに伴う教育への努力は、注目に値するものである。言い換えれば、近代化を達(dá)成するためには、官僚·経営者·専門家などのエリートから労働者·農(nóng)民層に至るまでの、あらゆる階層の経済的、政治的主體を形成するための教育は必要不可欠だということである。
たとえば、エール大學(xué)のJ·W·ホールは、1960年の近代日本に関する會(huì)議で、近代社會(huì)の基本的特性を七つ提示した。そして、そのうちの第四番目の特性として、「読み書き能力普及、及びそれが伴う環(huán)境に対する個(gè)人のセキュラーな科學(xué)的思考の増大」を挙げ、教育そのものを近代化の一指標(biāo)として取り上げた。なお、日本國(guó)內(nèi)では福沢諭吉が「學(xué)問のススメ」の中で、「人は生まれながらにして貴賎貧富の別なしに唯學(xué)問を勤て物事をよく知る者は貴人となり無學(xué)なる者は貧人となり下人となるなり」と述べ、最も適當(dāng)な人材が最も適當(dāng)な地位に著くという近代原理下の資本主義的競(jìng)爭(zhēng)社會(huì)において、學(xué)問いかに重要であるかと主張している。これらの學(xué)者の主張からも分かるように、近代化を?qū)g現(xiàn)させる上で人々に知識(shí)をもたらし、各國(guó)の政治経済その多様な分野を発展させるための基礎(chǔ)となる教育は、無視できない存在といえよう。
2.日本の教育と近代化
初めに、近代化と教育の関連性について述べたわけだが、このことは、非西歐諸國(guó)の中で最も早く近代化に著手して成功した唯一の國(guó)である日本についても當(dāng)てはまる。近代化競(jìng)爭(zhēng)に遅れて參加した國(guó)が、どうすれば工業(yè)化を達(dá)成し実力のある政治機(jī)構(gòu)を形成することができるのか。そこで次に、最初にどういう教育が近代化を推進(jìn)させるのかという教育條件を述べた上で、幕末から明治初期の日本の教育狀況を當(dāng)時(shí)及び現(xiàn)代の非西歐諸國(guó)を比較し、結(jié)果的に日本の教育が近代化を早くさせた理由は何だったのかを考えてみたい。
2.1近代化をもたらす教育條件
まず、近代化を推進(jìn)させる教育條件として、読み書きの普及は一番重要なものである。いくら西歐等の近代化を達(dá)成させた國(guó)からその思想や體制を?qū)Wぼうとしても、文字は読めなければ全く不可能である。そして読み書きの能力を高めるためには、初等教育の普及と大人の文盲撲滅は何よりも必要である。さらに、より高度な読み書き能力を教育によって身につけていくことでより広範(fàn)な知識(shí)を習(xí)得することができ、やがてそこから近代化推進(jìn)を擔(dān)う知識(shí)人が誕生する。知識(shí)階級(jí)の存在は、近代社會(huì)を構(gòu)成し確定する重要な要素である。なぜならば、近代的なものの見方や志向性を持つ知識(shí)人の存在なくしては近代化の過程は始まらず、ましてや近代化の実現(xiàn)には到底おぼつかないからである。
2.2幕末から明治初期にかけての日本の教育狀況
徳川家康期は、武士でも文盲は普通だった。しかし、井原西鶴が文盲の武士を時(shí)代遅れといったように、17世紀(jì)末にはかなりの人が教化され、19世紀(jì)に入るあらゆる階層において様々な教育手段が講じられた。たとえば、武士階級(jí)においては、幕府によって高等教育機(jī)関が設(shè)立されたほか、私塾が全國(guó)のいたるところで見られた。また、町人の學(xué)校教育として寺子屋が中心的な存在となり、読み書き算術(shù)から教科書による多岐に渡る分野の學(xué)習(xí)を習(xí)得していた。一方、國(guó)民の大部分を占める農(nóng)民も郷校や教諭所で簡(jiǎn)単な読み書きと儒教道徳の講釈を受けていた。これらの學(xué)校教育制度の発達(dá)の結(jié)果、維新當(dāng)時(shí)では日本の全男子の40-50%と女子の15%が自宅以外の何らかの正規(guī)の教育を受けていた。
さて、維新前になると、今まで儒教中心の教育をしていた學(xué)校でも西歐の近代化を見習(xí)い、実學(xué)を主張する洋學(xué)教育に力を入れ初めた。そして王政復(fù)古を迎えると、西歐に侵略されないために一刻も早く國(guó)を近代化させる必要に迫られ、日本の近代教育が歴史的課題となった。
2.3日本の教育が近代化実現(xiàn)を可能とさせた理由
まず、日本人は全國(guó)民に共通する統(tǒng)一言語(日本語)を有していた。そして、この日本語の特性が他國(guó)よりも近代化を早く実現(xiàn)化させることができた要因といえよう。つまり、全國(guó)民に統(tǒng)一された書き言葉についてほんの少しの知識(shí)があれば日常的に十分に物事を表現(xiàn)できるということは、文盲率短期間に減らすことに貢獻(xiàn)し、ひとびとは読み書き能力を身につけ西歐の學(xué)問を受容することができ、庶民教育普及に多いに役だった。
次に、基礎(chǔ)的な読み書き能力が定著したことで、近代化の課程が明治に入って始まったとき、日本國(guó)內(nèi)や西洋の高度の情報(bào)を活用することが十分に可能となった?,F(xiàn)に1875年以後に近代日本の基礎(chǔ)となる數(shù)々の変革を成し遂げた人々は、19世紀(jì)半ばの學(xué)校教育制度を受けた世代だった。
第三に、このことは後進(jìn)國(guó)の近代化の歩みの一典型とされているのだか、日本の場(chǎng)合も同様で、教育行政が中央集権で教育內(nèi)容が國(guó)定制度に基づいていたからこそ、近代化が短期間のうちに推進(jìn)され成果を挙げることができたといえる。さらに、このこと以上に他のアジア諸國(guó)よりも早く近代化を達(dá)成できた理由として、藩や幕府が庶民教育を是認(rèn)し奨勵(lì)したことが挙げられる。
3.まとめ
このように、日本の近代化とそれに影響を及ぼした教育の関係を見てみると,今後の低開発國(guó)の近代化実現(xiàn)や開発計(jì)畫の推進(jìn)には、いかに文盲を追放し初等教育を普及させ、さらにそれを発展させた高等教育を充実させるかが重要であることがよく分かる。確かに近代化達(dá)成の為には、経済政策や技術(shù)政策、そして政治政策の必要性は言うまでもない。だが、それらの政策を打ち出したとしてもそれを?qū)g行することができないのである。そのため、今の日本存在するのは幕末から明治初期の教育政策の賜物であり當(dāng)時(shí)の日本の教育がいかに後の日本の歴史に重要な役割を果たしたか、改めて納得させられた。
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